『患者よ、がんと闘うな』などの著者として知られる近藤誠医師。
がん治療の先駆的意見を発表したとして、2012年には菊池寛賞を受賞しています。
独自の主張からいろいろな意味で有名なドクターですよね。
今回は、近藤誠医師の経歴や家族についてご紹介します。
近藤誠医師の経歴一覧
近藤誠医師の経歴はこちらです。
1948年10月24日…東京都の開業医のもとに生まれる
1964年…慶応義塾中等部を卒業
1967年…慶応義塾高等学校を卒業
1973年…慶應義塾大学医学部を卒業
同年…慶応義塾大学医学部 放射線科に入局
1976年…慶應義塾大学医学部 放射線科助手に就任
1979年…アメリカへ留学
1983年…慶應義塾大学医学部 専任講師に就任
1988年…海外で普及していた乳房温存療法を日本で最初に提唱する
1990年…無治療を望むがん患者へ「がん放置療法」を実践
2012年…第60回菊池寛賞を受賞
2013年…近藤誠がん研究所セカンドオピニオン外来を設立
2022年8月13日…虚血性心疾患のため死去
医者の家庭に生まれた近藤誠さん。
中学から慶應義塾のキャリアを築いています。所謂エリートですね。
近藤誠さんが提唱したがん放置療法については現場の医師から多くの批判が集まりました。
しかし一方で、当時海外では当たり前だった乳房温存療法を日本に広めた1人でもあります。
慶應義塾大学医学部を主席で卒業
なんと、近藤誠さんは慶應義塾大学医学部を主席で卒業しているんです!
主席といえばトップの成績ということです。
とても優秀な方だったのですね。
学生時代はボート部と茶道部に所属していたんだとか。
勉強にスポーツ、作法と文武両道だったようですね!
近藤誠の奥さんも医者で娘がひとり
近藤誠さんは結婚されていて、娘さんが1人いるようです。
なんと、近藤さんの奥さんは慶応大学医学部の同級生!
近藤誠さんの一目惚れなんだそうですよ。
近藤さんは奥さんのことを、
天真爛漫で間違ってることは間違ってると言えるタイプ。
ワイフは金儲け主義の医療には批判的だし、基本的に考えは一致している
と語っています。
奥さんとは考え方も似ているというので、仲が良さそうですね。
近藤さんと奥さんは、医学部5年生の2月に子供を授かりました。
妊娠を機に結婚、所謂できちゃった婚ですね。
その後奥さんは在学中に長女を出産し、慶応病院の病理医として働いていました。
まとめ
今回は、近藤誠医師の経歴や家族についてご紹介しました。
賛否両論はありましたが、最後まで医療について考えていましたね。
ご冥福をお祈りいたします。